毎度お馴染み まいせりしるき です。
以前、第1回に参加したっきり存在を忘れたかのようにパッタリやらなくなってしまった深夜の真剣レポート60分一本勝負。宇田まなとがノリで始めたMinecraftマルチプレイを楽しんでいる時にふとこの話題が出たのでせっかくならばとまた参加することにしました。
企画の詳しい概要は宇田まなとのTwitter/Xとか見に行くと良いんじゃないですかね、時間が惜しいので早速本題に入ります。
今週のお題は3つ。第1回から続いて「今週の学び」、そして「あなたのプレイリスト」、最後に「嘘」… 今回は真実のことを書くつもり満々でしたが考えてみると嘘に関連する事項も多かったので「嘘」を選んでいきます。
怠惰に始まった11月
さて、11月。2024年も最終盤に差し掛かってきてめっきり寒くなりました。今日は雨なんかも降り出していて寒いことこの上ありません。洗濯をサボっていたので1まともな冬服がなく、自室に籠っているのに寒くて布団から出る気が微塵も起こりませんでした。
それなのに、大学の学園祭の用事で遠方まで物を取りに行かないといけない。なんだかんだ前任者が飛んで回ってきた責任者として、誰も手を挙げなかった雑務をこなすために片道1時間弱をかけて渋谷の方面まで雨の中移動を強いられました。別に雨が嫌いなわけでも、移動が嫌いなわけでもないけど、ただ家から出るのが億劫なんです。しかし団体メンバーに迷惑がかかるのだけは後々面倒ごとに巻き込まれるので避けたい。そういえば前に古本で安かったからというだけの理由で買ったエッセイ集があるのでカバンに放り込み、ビニール傘2を引っ掴んで重い玄関のドアを開けました。
「すべて忘れてしまうから」
いそいそと地下鉄のドアを潜り、ほとんどの人間がスマートフォンを眺めている中で本を取り出すみみっちい優越感を覚えながら最初のページを開く。燃え殻さんという方の、「すべて忘れてしまうから」(新潮文庫)。どの話も見開き1ページ半の短さでスルスルと読み進められる。普段長い文章を読み慣れていない学生の風上にも置けない自分が活字に触れるのに随分と適した形式をしていました。難しい言い回しはないけど、どこか深遠なテーマを暗示しているような、ただ何気ない日常を記録しているだけのような、身構えた肩の力が一瞬ですっと抜けて行くのを感じました。
途中の駅で乗り換えて、渋谷行きの地下鉄の予想以上の混雑に本を開けずに、ただぼんやりと列車のドアを見つめていました。地下鉄に乗っているひとって、ほぼ全員生気を失った目をしていますよね。これは悪口じゃなくて、いや悪口も少しはあるんですけどある種の自虐というか… とにかく自分もこの時死んだ魚のような目をしていたんだなぁと思いつつ、さっきまで読んでいたエッセイのことを考えていました。日常の出来事や風景を切り取って、ただ綴っているだけ。本当にそれだけみたいな… まるで日記のような… それなら、自分にも書けそうだな?アクション映画を見た後はどこか勇ましく感じてしまうのと同じように、エッセイストになった気分で渋谷駅に降り立ちました。
雨に塗れる渋谷駅と、封殺された祭の残渣
数日前に知り合いとの雑談で、街中での声掛けについての話題が出ていました。曰く、左手の薬指に指輪を付けていれば知らないひとに声を掛けられなくなる、と。このライフハックと、このライフハックの存在を余儀なくさせる状況の倫理性はさて置くとして、話には聞いていたが本当に効果はあるんだなぁと感心したものです。都会の街中なんて次の目的地に移動するために倍速で歩行する人間しかいないものだと思っていた、と言うと、「全員倍速で歩いてるからこそ、"イヤホンをつけずに"ゆっくりと歩く/スマホを見ずに止まっている」ひとは目立つよね、と返されました。
そんなことを思い出しながら駅を行き交うひとびとを見てみると、なるほど声掛け待ちをしているらしいひとの一人や二人… いない。どこもかしこも定常的に歩行を続けているひとで溢れています。乗り換えのために駅構内を少し移動しただけですから、見当たらないのも無理はないのかなぁと思いつつ、もしかしたらまだまだ人間を観察する能力が足りないのかも、とも反省してみたりしながら、ぼくもまたせかせかと倍速のステップで改札に向かって移動を続けました。
通路から広い空間に出ると、ふと、窓の外に頻りにスマホを向けて何かを撮っている一団が目に入りました。レンズの先はスクランブル交差点。何かイベントかなんかあるのかな… と思い窓の外に目をやると、交差点を埋め尽くすような傘の群れが、不規則に蠢いている様子。一昨年(だったかな?)のハロウィンで諸々の事案が起こって以来、イベント目的での集合が禁じられた渋谷駅周辺は、不気味なまでに一様な、しかし乱雑に動き回る集団がその跡を追随しているのでした。
日記と、随筆と、虚偽の思索
結局、淡々と3用事を終えて帰路につき、エッセイ集の続きを読みながら、今日起こった出来事をエッセイ風に記録し続けて自室に帰ってきました。振り返ってみると、どんな出来事に対してもそれなりに興味深い思索はできそうで、出来の良さは度外視するとしてエッセイにするのはそう難しいことではないように思えました。でも、どんなに如実な記録をつけたとしても、よく書けたエッセイのように読み手になんともつかない感情を想起させるものにはなり得なさそうだな。日記を読み返して懐かしくなるのとは訳が違う気がするな、と文芸の深遠さに勝手に慄いていました。
ふっと、出掛ける前に掴んだカバンに空いた穴を、縫い合わせようと思って苦闘しかけたことを思い出します。物語は、完全に事実に立脚していたとしても、語り方は無限に存在します。ある情感を思い起こさせるために、どこまでも事実の出来事であったとしても、如何様にも語り方を違えることができます。パッチワークのように、体験した事実を掻き集めて縫い合わせて、狙った形で提示するのが文芸の技、少なくともその中の一つなのかもしれないな、と。
そうしてできた作品は、"嘘"なのでしょうか?真実を、どのように語っても真実でしかあり得ないなんて、空想だったりするのではないでしょうか?そんな手に余る哲学的な問いに打ちひしがれないように目を逸らして、ノートPCのキーボードを打つ左手の薬指に、もうしなくなって何年も経つハロウィンの仮装に、これから投稿するブログサイトに登録したハンドルネームに、一際意識を向けてしまうのでした。
そういう感じでエッセイもどきにチャレンジしてみたのが今回です!また次回もお会いできると良いですね!まいせりしるき でした